Friday, November 30, 2007

Domicile

ニュースの意味と帰る場所。

2週間ほど前、ジーターがニューヨーク州の税務局と揉めているという報道があった。大きなニュースではないが、ヤンキースファンなら覚えている人も多いと思う。タイガー・ウッズがそうなように、フロリダに住居を置く著名人は少なくない。もちろんそれが節税対策なのも知っていたので、当初は特に関心がなかった。


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ところが今日、改めてその記事を読んで気が変わった。理由はいくつかあるが、最も大きいのは報道の仕方に疑問を感じたから。誰かが死ねば死因を知りたくなるし、犯罪を犯せば動機が気になる。ありのままを伝えるのもニュースだが、その背景に触れないことにはニュースとは言えない。

5つ子が生まれましたと言ったところで、ただそれだけではニュースにもならない。そこに希少性があるからこそ報道する価値が出てくるのであって、当然その希少性には触れる必要がある。前置きが長くなったが、前述のジーターの記事はこんな内容。

「ヤンキースのジーターが納税についてニューヨーク州の税務局と論戦を繰り広げていることが判明した。AP通信によると、同税務局側は01年に松井も住む高級アパートを購入し、同年から03年まで住んでいたと主張。一方のジーターは、住居がフロリダ州タンパにあり、ニューヨーク州に納税義務はないとしている。課税額は数億円に上る見込みだ。」

転載元:ジーター 税務局と数億円懸かった論戦(スポーツニッポン)

予備知識がないまま読むと、何のことだか分からない。ニューヨークを本拠地にするヤンキースのジーターが、なぜフロリダに住居を持っているのか。課税額が数億円にまで達するような事態を招いたのはなぜか。文脈から判断できなくもないが、はっきり言って説明不足。逆に脱税したと勘違いする人さえいるだろう。

「フロリダ州には個人所得税という制度がないため、主張が認められなければ差額の数億円が課税される。」

詳細な説明は必要ないが、このようにほんの少し手を加えるだけで本来のニュースになる。松井の住む高級アパートなどの修飾語を付ける暇があるのなら、もう少し考えてもらいたい。このAP通信の記事をこぞって垂れ流しているのにも大いに問題。

ヤンキースのジターはNYには住んでいない?: 専門家のためのアメリカ・タックス

いろいろ調べているうちに、こんなブログを見つけた。いかにも苦そうなジターはさて置き、背景や詳細はほぼ完璧に分かる。このニュースに興味のある人は、覗いてみるといいだろう。あまり関係ないが、プロフィールを見る限り向上心の塊のような人で好感が持てる。

この記事にDomicile(たぶんドミサイル)という単語が出てくる。法律用語で住居や住所を示す言葉らしいが、この定義が面白い。詳しくは記事を読んでもらうとして、生活の拠点以上にホームタウン的な要素が争点になるとは思ってもみなかった。

ニューヨークに住んでまだ10年だが、ここに帰ってくると正直ほっとする。言葉の面では日本の方が圧倒的に楽だし、もちろん嫌いなわけでもない。このままここで暮らしていくことに不安だってある。それでもそう思うのはなぜだろう。自分にとってのDomicile、ちょっと考えさせられた。

Thursday, November 29, 2007

End Of An Era-3

ヤンキースの12年(その3): 60にして天命を知らず

指揮官としての監督に求められるのは、合理性と勝負勘。特に前者は不確定要素の多い野球において、一定の勝率を叩き出すための最も重要なファクターになる。1年以上対戦がない投手との相性を重視、勝ちパターンに拘った一本調子の投手起用。

ほんの一例だが、トーリの野球はお世辞にも合理的とは言えない。ところがそんな監督の指揮するチームは12年連続でプレーオフ進出。この趣旨でどんなに熱弁したところで、納得してはもらえないだろう。


監督の重要性は何度も書いてきたが、プレーするのはあくまでも選手。極論すればポテンシャルをいかに発揮させるかが監督の役割であり、絶対値の大きさでその依存度も変わってくる。そこで着目したのが総年俸、まずはグラフを見て欲しい。

横軸は年度、縦軸(100は1位)はリーグ全体における総年俸と地区順位を表している。便宜上(*1)年俸順位は30チーム、地区順位は5チーム制に換算してある。(*1)92年までは26チーム、以降97年までは28チーム。93年までは7チーム制。

トーリが就任した96年以降、年俸トップを譲ったのは98年の1度だけ。その98年にしても700万ドル差の2位で、トップのオリオールズは破格とも言える数字だった。総年俸とチーム力は必ずしも比例しないが、それが上位となると話は別。

ましてや30チーム中トップなら、不良債権など処々の事情を考慮してもチーム力は群を抜いていると言っていい。つまりトーリが指揮したヤンキースは、常に圧倒的なチーム力を持っていたことになる。

92年までは見ての通りの低迷期。ただし年俸順位はそれほど低くない。前述の理屈から言えばそれ相当のチーム力はあったはずで、疑問に思う人もいるかと思う。信じるかどうかは別だが、これを説明する記述がWikipediaにある。以下はその抜粋。

「1980年代に入ると長い低迷期を迎えてしまい、最下位争いをするチームに成り下がる。フリーエージェント権を行使した大物選手に大金を投じるものの、1981年を最後にワールドシリーズ出場からも遠ざかった。1990年、オーナーのスタインブレナーがリーグより、オーナー停職の処分を受けたことから改善の兆しが現れ始めた。」

「上層部からの妨害なしに首尾一貫した監督采配ができるようになるというのも一因であったが、この頃に就任したGMのジーン・マイケル(後にボブ・ワトソン)とバック・ショウォルター監督のもと、ヤンキースのチーム編成方針を、才能を買うことから、ファームで才能ある若手を育てるように変更した。」

野球を知らないスタインブレナーの意向が強く反映されていたため、名前だけの選手ばかりで中身のないチームだったということだろう。この記述を裏付けるように、グラフも90年を境に一変している。

年俸と地区順位が完全に相関したのは93年。これはオーナーの独裁的支配から逃れ、人並みのチーム作りができるようになったことを意味する。つまりこの年から強いヤンキースは出来上がっていたわけで、96年に就任したトーリはそれを引き継いだに過ぎない。これについてもWikipediaに興味深い記述がある。

「トーリ監督とキャッシュマンGM体制は、基本的には、前任者のマイケル、ワトソン及びショウォルターらの築いてきた基礎によって勝利を獲得したものであり、中でも、デレク・ジーター、アンディ・ペティット、ホルヘ・ポサダ、マリアーノ・リベラやバーニー・ウイリアムスら、ヤンキース傘下のファームで育った生え抜き選手の成長に負うところが大きかった。」

いずれもヤンキースを支えた主力選手だが、生え抜きというところがポイント。企業の体力と同じで、根幹がしっかりしているチームは大崩れしない。接ぎ木とは持ちが違うし、その成長力には計り知れないメリットがある。

ヤンキースが最後にワールドシリーズを制したのは2000年。2004年以降はリーグチャンピオンにすらなっていない。ウォンカノーがメジャーに定着した時期(2005年)から考えても、トーリの功績というのは前任者のそれと言っても差し支えない。

トーリはヤンキースのオファーに対し、屈辱的というコメントを残している。己を知らないとはまさにこのこと、滑稽以外の何物でもない。関係ないが、24(シーズン5)の大統領を思い出してしまった。次回は年俸額そのものと、チーム作りの関係について書く予定。

参考サイト:
ニューヨーク・ヤンキース - Wikipedia
USATODAY.com: Salaries Databases
ヤンキースのレギュラーシーズン成績
MLB Score Team Index

End Of An Era-1

Tuesday, November 27, 2007

End Of An Era-2

ヤンキースの12年(その2): 忘れられた過去と強調データ

12年連続プレーオフ進出。これはトーリ支持派が真っ先に挙げる項目であり、同時に伝家の宝刀でもある。大方のスポーツライターもほぼ同様、もはや一般論と言ってもいい。反論しようものなら、この客観的事実をどう説明するんだと言い返されるだろう。


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例外を除けば物事には因果関係があるものだが、特定するのはそう簡単ではない。あらゆる角度からの検証が必要だし、結果として推測の域を出ないこともある。12年連続という事実に必然性は認められるものの、それだけで特定するのはあまりにも短絡的。あらゆる角度どころか、たった1つの希少性で結論付けているに過ぎないからである。

ヤンキースを含め4チームの監督を務めてきたトーリだが、その他のチームについて触れられることはほとんどない。ヤンキース以外で指揮したのは15期だから、サンプル数としては十分。当然こちらにも目を向ける必要があるし、そうでなければ何も見えてこない。

詳しくはリンク先を見てもらうとして、プレーオフ進出を果たしたのはたったの1度。15期もの猶予がありながらこの成績では、擁護派の理屈から無能と言えなくもない。実際そう認識されていたのは事実で、3度の解雇がそれを物語っている。

ヒット数とは対照的に打数に触れられることのないイチローではないが、トーリがヤンキースで残した成績は言ってみれば強調データ。前述の希少性を相殺できるとは言わないまでも、それ以前の成績は考慮すべき要因ではある。

参考までに、イチローの打数は全てのシーズンで両リーグ3位以内。調べてはいないが、平均打数(682)ならおそらくメジャートップだと思う。

そうは言っても、目の前の事実は消えない。かなり無理があるが、3度の解雇を経て素質が開花したと思う人もいるだろう。そんな人のためにあるグラフを用意したのだが、長くなりそうなので続きは次の機会に。

参考サイト:
ジョー・トーリ - Wikipedia
Circle Change - アトランタ・ブレーブス
Major League Baseball: Stats: Historical Player Stats

End Of An Era-1

Sunday, November 25, 2007

One Month Delay

1ヶ月遅れの衣替え。

ブログのデザインを変えた。元々はコメント欄のフォーマットだけを修正するつもりだったが、それに満足すると今度はその何倍も他が不満に思えてくる。散らかっている部屋を片付けた途端、置いてあるリモコンの向きまで気になる感覚と言えば分かるだろうか。

自分の場合この感覚が異常で、いったん気になり出すと止まらない。記事を書くどころか見るのさえ嫌になり、解消するまでひたすら没頭する。結局こうして書けるようになるまで10日あまり費やしてしまった。もっとも今までのデザインには飽き飽きしていたし、ブログ自体も放置気味だったのである意味ではちょうどよかった。

まだ完成はしていないが、自己採点するなら80点ぐらい。何を作っても100点などまずあり得ないので、一応は満足している。ウェブの知識が乏しいことを考慮すれば、むしろ上出来と言えるのかも知れない。以前にも増してユーザーフレンドリーとは程遠いが、自分のブログぐらい好きにやってもいいだろう。

前回デザインを変えたのはちょうど1年前。思った通り、その月書いた記事はたったの6つしかなかった。同じ11月なのは奇遇だが、野球が終わって一息ついた頃と考えれば合点もいく。ちなみにブログを始めた時は、これと同じテンプレートをそのまま使っていた。今となっては見る影もないが、構造的にはそれほど変わっていない。

関連記事:Talk To Kmfiself-3

Friday, November 16, 2007

Maybe Tomorrow-2

正直者と不公平の関係。

さらに1週間が過ぎ、今は自己嫌悪で頭が一杯。有言実行できなかったこともそうだが、人の意見に反対しておいて肝心なことが先延ばしでは話にならない。前回以上に自慰的な記事になってしまうが、早速書いてみることにする。

「民主主義がいいのは、平等ではなく公平なところ」

以前何かの映画で、こんなセリフがあった。公平という言葉を辞書で引くと、どちらにも偏らず正しくする様子と書いてある。正しさの定義が難しいので要領を得ないが、何が何でも全てがフラットになる平等とは明らかに違う。

やや限定して解釈するなら、行為や成果に準じた恩恵(*1)があるべきというのが公平の持つ意味。辞書にある正しさの定義も、これが基準になっていると思う。トーリを批判し続ける理由はまさにこれで、そういう意味では何の異論もない。(*1)権利や評価、利益等

エコバッグ、あまりの人気に…警官出動?!

この騒動自体は書く価値すらないが、実は今回の話と関連性がある。ポイントは整理券がなくても手に入れた人がいて、反対に持っていても諦めた人がいたこと。当事者ではないので断言はしないが、この事実が不公平かと問われれば答えはノーだ。

そう考える最大の理由は、販売したのが民間というところにある。約束違反であろうと何であろうと、誰にどう売るかは販売する側の自由。仮にこれを不公平と言うなら、好きな相手に振り向いてもらえないことも不公平。一見さんお断りの飲食店などもっての外だろう。

ここで公正取引委員会などの言葉が浮かぶ人は、今すぐこの場を立ち去った方がよろしい。そういうステレオタイプな人は、読むだけ時間の無駄というものだ。

イオン銀行についても、これと同じことが言える。半ば公な金融機関なのだから対象外と思うかも知れないが、それは都合のいい免罪符。利益を得ようとした一消費者の行為まで国が関与する義務もないし、そんな余裕があるなら他にやるべきことはたくさんある。

金融不安による経済の崩壊や国の存続を理由にするなら別だが、今回の件を不公平と感じる人の大半はそうは考えていないと思う。

この世の中正攻法が全てではなく、逆にそれ以外の方法でしか達成できないことも多い。整理券がなくても、騒げば態度が軟化するだろう。ルールになくても現金を持っていけば、道は開けるかも知れない。

こんな風に考える人を汚いと思うか、頭がいいと思うかは価値観の問題。ただし目的を達成することが主眼なら、今すぐ前者のような考え方は改めた方がいい。

あるある大辞典の捏造が問題になった時もそうだったが、不利益をこうむるとすぐに自己正当化できる法律やら考え方を持ち出す人が多い。矛先を外に向けるのは簡単だが、その前に鏡を見ろといいたくなる。

関連記事:Believe Yourself

イオン銀行に対して憤りや不満があれば裁判でも起こせばいいのであって、国に保護を求めるのは見当違い。訴訟費用がないのなら直談判してもいいし、ストでも何でも方法はあるはず。

正直者や真っ当な生き方は、いつの時代でも冷遇されるべきではない。ただしそれだけで十分条件は満たせないから、今回のように損をするケースも当然でてくる。問題は損をした時に、正直者や真っ当というキーワードだけで全てが語られてしまうこと。

目的達成のために知恵を絞ったことも公平の範疇に属するはずで、前述のキーワードが絶対的な免罪符になるとしたらそちらの方が危険な社会だと思う。他人を押しのけることに抵抗がある人もいるだろうが、多かれ少なかれ人間とはそんな生き物。

何度も繰り返し読んでみたが、なりぽんさんの真意は分からない。正直者がバカをみる世の中に対するアンチテーゼなのか、イオン銀行に対しての憤りなのか。ただできる範囲で即座に行動したのは、真意に拘らず見習うべき。こうでなくては何も変わっていかない。

最後に自分ならどうするかというと、おそらく何もしない。ルール違反に対する憤りよりも、上手がいたという気持ちが先に立ってしまうからだ。

さらに言えば、このキャンペーン定期は予告なしに打ち切られるシステム。申し込み方法もネットを通じてのものなら、たとえ一番乗りの自負があっても多くは望まない。電話ぐらいするかも知れないが、どうしても定期をつくりたいなら窓口に行く方を選ぶ気がする。

Maybe Tomorrow-1

Saturday, November 10, 2007

Maybe Tomorrow-1

メークアップとトラックバック。

最後に記事を書いてから1週間が経った。書きたいことは山ほどあるし、続きものも残っている。アトランティックシティーに行った時のスライドショーも、1ヶ月近く眠ったまま。消費されるだけの音楽があるように、ブログも時期を逃すとその価値は極端に下がる。

かといって準備したものを無にする勇気はなく、平然と書くのもまた難しい。そういうわけで、いったんクッションを入れることにした。書いているうちにどうなるか分からないが、自慰的な意味合いが強いのであまり期待しないで欲しい。

柄にもなく、この1週間はかなり忙しかった。仕事と言えばそうなのだが、定義の基準が対価なら趣味と言えなくもない。毎日12時間以上パソコンに向かい、トイレとコーヒー以外は座りっ放し。食事を取ることさえ忘れていた。

ある時キッチンにいくと、床が大きく揺れるのを感じた。とっさに地震だと思ったが、実際には何も起こっていない。すると今度は足がすくみ始める。地震に対する恐怖感なのか、理解できないものに対するそれなのかは分からない。

とにかく立ってはいられず、その感覚は翌日まで残っていたほど。未だに原因は不明だが、おそらく一瞬気を失ったか何かだろう。

そんな生活も昨日で一段落、久し振りに自分の時間ができた。まずはヤンキース関連のニュースと思ったが、把握する労力を考えるとそれこそめまいがする。結局人のブログを読むことにした。

拝啓、金融庁様~‘正直者が馬鹿をみる’イオン銀行を放置しないでください~

定期的に目を通すブログは数えるほどで、これを書いたなりぽんさんはその1人。不快なテレビ番組に抗議する人はいても、こういう行動はなかなかできない。

政府が民意を軽視できないのは、その力に脅威を感じている証拠。たとえ一個人であっても大きな意味があるし、決して微力ではない。そんな勇ましさが心に響き、ニヤニヤしながら読んでいた。

ところが読み終わった後、なぜかモヤモヤが残る。誰にでも経験があると思うが、こんな感覚になる時はたいてい反対意見を持っている。100人中100人が賛成するようなことなので何度も考えてみたが、やはり違和感は消えなかった。

あまり軽はずみに書いてしまうと誠実さに欠けるので、詳しくは後日改めて。性懲りもなく後日という言葉を使ったが、これだけは近いうちに必ず書く。今の段階で1つだけ言うとすれば、自分ならそうはしないしそうは考えない。

Playlist Updated:
ステレオフォニックスのMaybe Tomorrow。これを書く時に、テキーラを飲みながら繰り返し聴いていた。最高にグルービーで、So maybe tomorrow Ill find my way homeという歌詞が熱い。

なりぽんさんのとった行動を重ね合わせて聴いてみると、そのよさが分かるはず。あまりにもハマっているので、記事のタイトルにしてみた。

Play Sub Tracks

Saturday, November 03, 2007

Stand Alone

オレ流究極の非情さい配で悲願V

何を隠そう、子供の頃から大の中日ファン。今でこそ熱意は薄れたが、当初は応援用のメガホンを日本から送ってもらったこともある。ヘンな制度の恩恵とはいえ、日本シリーズ制覇はファンになってから初めて。メガホンを送ってくれた友人も喜んでいることと思う。

監督としての落合を形容する時、必ずと言っていいほど使われるのがオレ流。この上なく陳腐な表現だが、個性的な人物だけに分からなくもない。一時はプロボウラーを目指し、紆余曲折の末プロ入り。独特のバッティングフォームと誰にも真似できない高い技術。

あれだけの成績を残しながら、名球界入りをかたくなに拒否。当時最も格の低かったテレビ朝日を経て、最後はスポーツ新聞社付けの解説者。そんな落合が、コーチ経験もないまま監督に抜擢される。その時友人と交わした会話は、おおよそこんな感じだった。

「チームをオモチャにするか、強くするかのどっちかだね」

奇をてらう部分が突出すればオモチャ、能力はあるので真面目にやれば強くなる。お互い人物像は一致していたので、自然とこんな結論になった。開幕投手が川崎と聞いた時はてっきり前者だと思ったが、フタをあけてみれば就任1年目にしてリーグ優勝。

根拠のないセオリーにとらわれず、独自の采配と起用法でここまできたのはお見事。監督としての能力を証明したのは言うまでもないが、これで野球の価値観が変わる可能性すら出てきた。オレ流がオレ流でなくなる日も、そう遠くはないはずだ。

落合博満 - Wikipedia




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