Friday, November 16, 2007

Maybe Tomorrow-2

正直者と不公平の関係。

さらに1週間が過ぎ、今は自己嫌悪で頭が一杯。有言実行できなかったこともそうだが、人の意見に反対しておいて肝心なことが先延ばしでは話にならない。前回以上に自慰的な記事になってしまうが、早速書いてみることにする。

「民主主義がいいのは、平等ではなく公平なところ」

以前何かの映画で、こんなセリフがあった。公平という言葉を辞書で引くと、どちらにも偏らず正しくする様子と書いてある。正しさの定義が難しいので要領を得ないが、何が何でも全てがフラットになる平等とは明らかに違う。

やや限定して解釈するなら、行為や成果に準じた恩恵(*1)があるべきというのが公平の持つ意味。辞書にある正しさの定義も、これが基準になっていると思う。トーリを批判し続ける理由はまさにこれで、そういう意味では何の異論もない。(*1)権利や評価、利益等

エコバッグ、あまりの人気に…警官出動?!

この騒動自体は書く価値すらないが、実は今回の話と関連性がある。ポイントは整理券がなくても手に入れた人がいて、反対に持っていても諦めた人がいたこと。当事者ではないので断言はしないが、この事実が不公平かと問われれば答えはノーだ。

そう考える最大の理由は、販売したのが民間というところにある。約束違反であろうと何であろうと、誰にどう売るかは販売する側の自由。仮にこれを不公平と言うなら、好きな相手に振り向いてもらえないことも不公平。一見さんお断りの飲食店などもっての外だろう。

ここで公正取引委員会などの言葉が浮かぶ人は、今すぐこの場を立ち去った方がよろしい。そういうステレオタイプな人は、読むだけ時間の無駄というものだ。

イオン銀行についても、これと同じことが言える。半ば公な金融機関なのだから対象外と思うかも知れないが、それは都合のいい免罪符。利益を得ようとした一消費者の行為まで国が関与する義務もないし、そんな余裕があるなら他にやるべきことはたくさんある。

金融不安による経済の崩壊や国の存続を理由にするなら別だが、今回の件を不公平と感じる人の大半はそうは考えていないと思う。

この世の中正攻法が全てではなく、逆にそれ以外の方法でしか達成できないことも多い。整理券がなくても、騒げば態度が軟化するだろう。ルールになくても現金を持っていけば、道は開けるかも知れない。

こんな風に考える人を汚いと思うか、頭がいいと思うかは価値観の問題。ただし目的を達成することが主眼なら、今すぐ前者のような考え方は改めた方がいい。

あるある大辞典の捏造が問題になった時もそうだったが、不利益をこうむるとすぐに自己正当化できる法律やら考え方を持ち出す人が多い。矛先を外に向けるのは簡単だが、その前に鏡を見ろといいたくなる。

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イオン銀行に対して憤りや不満があれば裁判でも起こせばいいのであって、国に保護を求めるのは見当違い。訴訟費用がないのなら直談判してもいいし、ストでも何でも方法はあるはず。

正直者や真っ当な生き方は、いつの時代でも冷遇されるべきではない。ただしそれだけで十分条件は満たせないから、今回のように損をするケースも当然でてくる。問題は損をした時に、正直者や真っ当というキーワードだけで全てが語られてしまうこと。

目的達成のために知恵を絞ったことも公平の範疇に属するはずで、前述のキーワードが絶対的な免罪符になるとしたらそちらの方が危険な社会だと思う。他人を押しのけることに抵抗がある人もいるだろうが、多かれ少なかれ人間とはそんな生き物。

何度も繰り返し読んでみたが、なりぽんさんの真意は分からない。正直者がバカをみる世の中に対するアンチテーゼなのか、イオン銀行に対しての憤りなのか。ただできる範囲で即座に行動したのは、真意に拘らず見習うべき。こうでなくては何も変わっていかない。

最後に自分ならどうするかというと、おそらく何もしない。ルール違反に対する憤りよりも、上手がいたという気持ちが先に立ってしまうからだ。

さらに言えば、このキャンペーン定期は予告なしに打ち切られるシステム。申し込み方法もネットを通じてのものなら、たとえ一番乗りの自負があっても多くは望まない。電話ぐらいするかも知れないが、どうしても定期をつくりたいなら窓口に行く方を選ぶ気がする。

Maybe Tomorrow-1

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