Stare Miasto Tour: Warsaw
ヨーロッパ旧市街ツアー: ワルシャワ
ヨーロッパにはシェンゲン協定というものがある。出入国を簡略化するシステムで、加盟国同士なら2度目以降の入国審査は免除される。お陰であっさり入国できたのだが、ゲートすらなかったのには面食らってしまった。フランスの入国審査もあってないようなものだったし、余計な心配もしたくなる。
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両替を済ませ、タクシー乗り場へ。曇った窓から見える初めてのポーランド。街の明かりとイルミネーションが余計にまぶしい。(クリスマス当日なので)さすがに静かだったが、暗いというよりストイックな印象。ボッタクリと評判のタクシーも特に問題なかった。
ホテル レ レジーナ - TripAdvisor
Hotel MaMaison Le Regina Warsaw
今回泊まった中で、最もよかったのがこのホテル。レビューにもあるように、とにかく悪いところが見当たらない。こんなことを書くとまるでアフィリエイトのようだが、ほとんどの人が満足できると思う。旧市街に位置するロケーションもポイント。
ワルシャワ歴史地区 - Wikipedia
ワルシャワには当時の街並み(旧市街)が今も残っている。とはいっても、これらは戦後市民の手によって復元されたもの。壁のひび1本までの言葉が示す通り、確かによく出来ていた。ただ考えてみると、普通こんなことはやらない。新しく作るならまだしも、元に戻すのは簡単ではないからだ。いったい何が彼らをそうさせたのか。
[all cinemas go forward to freedom!] 地下水道(1956年 ポーランド)
「私が何故この2本の映画(地下水道、灰とダイヤモンド)を作り、何故これらの作品が私の最初の映画でなければならなかったのか……という質問を、私自身にも発しているのですよ。(中略)私はワルシャワ蜂起に参加しませんでした。戦後、私はクラクフの美術学校に入学しましたが、そこでの人々は、戦争体験はなく、美術に熱中していました」
「一方で、私と同じ世代のある人々は、戦争という状況を生き、戦争という悪を見、恐怖の中で苦しみました。私は何も体験していません。そこで私は、何とかして償いをしようと決心しました。私は、私のかたわらを通り過ぎて行った戦争という歴史的事件の体験を、他の人々と共有出来ないことで深く恥じ入っていたのです」
自らを恥じ、追体験という形で空白を埋めようとしたアンジェイ・ワイダ。ナチスに街の大部分を焼き払われ、それを放って置けなかったワルシャワ市民。ポーランド人には不屈の精神があるといわれるが、彼らもまた空白を埋めたかったのかも知れない。
「Pamiętamy(思い出す)」
不屈の精神といえば、ホテルの近くでこんなグラフィティーを見つけた。場所は教会の裏。書かれている数字(63)と意味からして、第2次大戦中のポーランドを指しているのは間違いない。その一方で、今度はこんな落書き。ポーランドに限ったことではないとはいえ、身につまされる。
ワルシャワの空は白い。おまけに日照時間も極端に短く、いつも以上に満足のいく写真が撮れなかった。前回同様以下にアップしてあるので、よかったらどうぞ。それにしても寒かった。(続く)
Stare Miasto Tour: Warsaw - a set on Flickr
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ワルシャワ - Wikipedia
Stare Miasto Tour: Paris
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