Tuesday, February 12, 2008

Johan Santana's Resume

ヨハン・サンタナの略歴

サンタナはルール5ドラフトで獲得された選手。前回の記事で書くつもりだったが、うっかり忘れてしまった。詳しくは後述するとして、他にも興味深い事実があったので併せてメモしておく。

元々は外野手:
リトルリーグ時代にショートから外野手に転向。それまでは父親のグラブを使っていた関係で右投げだったが、これを機に本来の左投げに戻す。同じようにグラブがきっかけになった選手としては、中日の今中が有名。ただし彼の場合は生涯左投げ(右利き)だった。

16歳でプロ入り:
誕生日を迎えたばかりの95年7月、アストロズと契約。当初はロッキーズも興味(*1)を示していたが、最終的にはAndres Reiner(アストロズのスカウト)の献身的な努力が実を結んだ。外野手として契約したものの、強肩から投手に転向。(*1)ロッキーズのトライアウトを受けている

アストロズ時代:
メジャー級の資質を見込まれ、17歳でドミニカンリーグに参加。主に中継ぎ投手として、被安打率.178と抜群の成績を残した。その後はやや伸び悩んだが、99年に再び頭角を現し(*2)トッププロスペクトの仲間入りを果たす。(*2)防御率4.66 150奪三振 投球回160 登板数26 / 1A Michigan Battle Cats

新天地:
メジャー入り目前のサンタナだったが、結局40人のロースター枠に入ることはできなかった。その後ルール5ドラフトで指名を受けたマーリンズへ、即日トレードでツインズに移籍する。参考までに40人枠の最後の椅子を争ったのは、同じ1Aで抜群の成績(*3)を残したアーロン・マクニールという選手。

Aaron McNeal Statistics - The Baseball Cube

調べてみるとメジャー経験はたったの1試合しかなく、2005年を最後に記録が残っていない。引退したかどうかは不明だが、少なくともメジャー傘下のチームではプレーしていないと思う。(*3).310 38HR 131打点

ツインズ時代:
2000年の4月、デビルレイズ戦でメジャーデビューを飾るが2勝止まりでシーズンを終える。その後の成績も思わしくなかったが、2002年にチェンジアップをマスター(*4)し素質が開花。ついにはサイ・ヤング賞を獲得(2004、2006年)するまでになる。(*4)チェンジアップ自体は10代から投げていた

こうやって振り返ってみると、素質を見抜き獲得に尽力したAndres Reinerの顔が目に浮かぶ。サンタナに限らずおししいところを持っていかれる例はいくらでもあるのだろうが、個人的には映画のような親友関係になっていてくれると嬉しい。

With Affection To A Great Baseball Fan
素晴らしき野球ファンに、愛を込めて_Andres Reiner

Playlist Updated:
自分でも病気だと思うが、これを書いていたら涙が出てきた。さっきから繰り返し聴いているこの曲のせいだろう。例によってバーボンを飲みながら上半身裸というありさまだ。

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参考サイト:
ヨハン・サンタナ - Wikipedia
JockBio: Johan Santana Biography

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