Strange Night
焼肉とカラオケ、フィロソフィー。
一昨日の金曜日、友人の誕生日でコリアンタウンに出かけた。コリアンタウンといえば焼肉だが、日本のスタイルの方が好きなので最近は牛角に行くことが多い。そういう意味では久しぶりになる。味も思っていたより美味しかった。
Wonjo Korean Restaurant
集まったのは合流組も含めると総勢17人。そのほとんどは外国人で、純粋なアメリカ人はたったの2人しかいない。国籍で言えば7つはあったと思う。今となっては慣れてしまったが、こうやって思い返してみると改めてこの街の特異性を痛感する。
誰が言い出したか、その後はなぜかカラオケ。本場の焼肉はせいぜい1年ぶり程度だが、カラオケとなると最後の記憶すら怪しい。おそらく5年ぐらいは経っているだろう。歌わされたピストルズは好評だったが、酔った勢いで自発的に歌った椎名林檎はハズした。
初対面の日本人カップルと仲良くなり、近くのバーでもう1杯。コーヒーが飲みたくなったので、自宅に招待した。きっかけは覚えていないが、気づけば血液型の話題で盛り上がっていた。もっとも当事者は彼と自分だけ、盛り上がったというより口論に近い。
日本人は血液型の話をよくするが、彼はそれを否定するという意味で好きなタイプ。血液型と性格は無関係、ひいては遺伝子と人格の関係まで否定していた。本人の名誉のために付け加えると、そういうもので決めつける人が嫌いらしい。
血液型にしろ遺伝にしろ、個人的にはある程度の傾向はあると思っている。かといって決めつけるようなことはしないし、この手の話をする時には例外はあると前置きもする。当然今回もそうしたが、残念ながら傾向があることに同意してはもらえなかった。
彼の根拠はおおよそこんな感じだ。血液型と性格の関係は科学的に証明されていない。自分の血液型と一般的に言われている傾向を後天的に結びつけて、それを自認することで一般論がより強固になっているだけ。1人として同じ環境などあり得ないので、そういう後天的なものの方が強く影響する。
従軍慰安婦の時にも書いたが、ないと証明することはあると証明するより遥かに難しい。難しいというよりは理論的に不可能、いったいあなたは何をどれだけ知っているのかという話になる。
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もちろんあると思うのは経験論によるところが大きいので、主観の域は出ない。ただ彼が根拠にする科学とは、この世の科学のほんの一部でしかないのも事実。極論すれば、血液型で性格を決めつける理屈と変わらない。百歩譲ってこの世の科学を丸ごと把握できたとしても、それが絶対的なものだとは言えないだろう。
環境が人格形成に強く影響することには同意できるが、それは血液型を否定する根拠にはなり得ない。無限ともいえる環境と血液型の数を単純に比較したに過ぎず、それこそ環境の優位性は科学で証明されていない。
このように突き詰めれば突き詰めるほど根拠はなくなるのだが、経験論がベースになっている以上こちらと大差はない。彼が肯定を否定しているのに対し、こちらが否定を否定している構図も同じだ。
「何事も決めつけることはできない」
何事もとは言っていないが、彼はさかんにこう主張していた。この言葉自体は間違っていないし、こういう思想がなければ正しい判断もできない。真理(真実)には一生たどり着けないのが真理だとすれば、そこに一番近い考え方と言うこともできる。
ただこれが突出してしまうと、個人が意見を持つことに意味がなくなってくる。結局分からないのだから、思考という行為そのものが無駄になるわけだ。考えることを否定するのは文明を否定するのと同じ、少なくとも議論に持ち込むのは間違っている。
理論の決め手が本当のところは分からないでは主張する意味がないし、当然聞く価値もない。その一方でそんな人も確率で行動しているわけで、主張自体が体のいいスケープゴート。この部分が両者の決定的な違いであり、今回最も書きたかったこと。
「あなた文系でしょ?」
話が収まった直後、意地悪くこんなことを言ってしまった。どうやら図星だったようで、答える代わりにサラリーマンの90%は文系と切り返された。もちろん事実無根だが、そんなことを言った自分が悪いので適当に頷いておいた。
彼のニックネームはフィル、名前に哲(*1)がつくところが由来らしい。肝心の血液型は、彼がAで自分はO。さすがに文系のA型とは言わなかったが、彼にはそう聞こえたかも知れない。(*1)哲学=Philosophy
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