Night In, Night Out
それぞれの夜、そして朝。
Hard Eight (ハードエイト)
監督ポール・トーマス・アンダーソン 1996年 アメリカ
眠れない時はパソコンの前に座るか、溜まっているDVDを観て過ごすことが多い。昨日の夜はかなり涼しかったが、なぜか眠れず後者。ポール・トーマス・アンダーソンと言えばマグノリア、ラストシーンを除けば印象はいい。普段なら散々迷うところだが、カジノが舞台だったこともあってこれに決定。
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観ている途中で、窓の外から話し声が聞こえてくる。午前3時を過ぎていたが、アウトドア好きなアメリカ人なら珍しいことではない。ところがよくよく聞いてみると声が近い。てっきり通りで話していると思っていたが、そうではないらしい。気になったので窓を開けて確かめると、隣のビルの屋上に人影が見えた。
夏になると、時々ここへ上がってくる人がいる。天気がよければ日光浴、夜はビールを持ち込んで喋るのがお決まりのパターンだ。暗くてよく見えなかったが、声からすると男女のカップル。女の方はアジア人のアクセントがあった。こっちから見えるなら、相手にも見えるはず。ヘンに思われるのも嫌なので、窓を閉めて映画の続きを観た。
ストーリーは単純で、アイディア的にも乏しい。あえて褒めるならロードムービーのような退屈さの中に、それぞれのキャラクターを際立たせた作品というところ。特別なメッセージは感じなかったが、映像もきれいで悪い映画ではない。
この映画はポール・トーマス・アンダーソンの処女作らしく、調べていると弱冠26歳という言葉が頻繁に出てくる。確かに映画監督としては若いが、他の職業ならそうは言われないだろう。ではなぜ映画界だけが特別なのか。
映画とはメッセージを伝える媒体。例外はあるが、多くの監督は何かを伝えたくて映画を撮る。人生経験を積むことでメッセージの精度が上がり、結果としてレベルの高い映画になる。先入観によって排除されている部分もあるにせよ、考え方としては間違っていない。これについては以前書いたことがあるので、興味があればそちらをみて欲しい。
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もう1つの理由は、映画界自体の構造にある。一昔前の日本を例に挙げると、助監督を数十年務めなければ監督にはなれない時代があった。そんなタテ社会的な構造が、今でも残っているということなのだと思う。されに言えば、制作費の問題もある。巨額の費用がかかるだけに、経験や実績の少ない監督は敬遠されやすい。
理由を挙げればキリがないが、弱冠という表現が一種の褒め言葉として認知されているのには抵抗がある。映画を評価する上で、そんな言葉はまったく必要ないからだ。20歳だろうと100歳だろうといいものはいい、個人的にはそれだけで十分だと思っている。
さらに下らない映画をもう1本、観終わった頃にはすっかり朝になっていた。ふと屋上のカップルのことを思い出し、窓を開ける。まだそこにいたのには驚いたが、それよりもその光景があまりにも美しい。不謹慎なのは承知で、写真を撮ってしまった。
たった数メートルの距離とはいえ、過ごし方がまるで違う。映画を観て過ごすことに劣等感は感じないが、眠っている2人をこっそり写真に撮った自分が恥ずかしい。もっともこんな光景は滅多にお目にかかれないから、そういう意味では安く済んだのかも知れない。
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