Tuesday, January 09, 2007

Seeing Nothing Is Believing

Igawa introduced by Yankees
Yankees introduce Igawa(WMP)

井川の入団会見が昨日、ヤンキースタジアムで行われた。印象的だったのはカタカナ英語によるスピーチよりも、ユニフォームのボタンをきちんと下まで留めたところ。真面目な人柄が出ていて実によかった。

井川の居場所 ロッカールームでメジャー実感

ところでこの記事の中に通訳について書かれた部分がある。確かに松坂の時と比べれば雲泥の差だが、それを引き合いに出してライバル対決と結ぶのは極めて低俗。そもそもライバル対決や日本人対決とはメディアが作り上げた二次的な世界でしかなく、本質とは無縁の位置関係にある。

選手が文化もレベルも違うアメリカをその活躍の場所として選ぶのは、紛れもなく野球に対する向上心から。したがって選手が最も意識することはメジャーで生き残ることであり、ライバル関係を意識する余裕などあるわけがない。逆にそんなものを意識している選手がいたとしたら、通用しないのは目に見えている。

こういう記事は単に読者をあおっているに過ぎず、通訳の優劣で差をつけたなどとよくも言えるものだ。百歩譲って差がついたとしても、その先に何があるというのだろう。あるのは偏った見方でしか楽しめない哀れなファンの姿だけ。底抜けのバカなのか確信的な意図があるのかは分からないが、どちらにしても最低の記事である。

実は以前書いた記事でこの通訳について触れるつもりだったが、多少気の毒に思えたことと酷評されるのが分かっていたのであえて自重した。ただこうやって書かれてしまっては別の意味で黙っていられない。

試しに松坂、通訳で検索してみたところ、最初の100件(その先は未確認)はほとんどがこの話題についてのものだった。大半がこの通訳に対してのネガティブな意見で、中にはコストに見合っていないという見当違いなものまである。

確かにあの通訳はプロフェッショナルとは言えず、舞台が舞台なだけに酷評は避けられないとは思う。ただ会見が台無しになった責任を全て通訳に押し付けるのは、あまりにも一方的というものだ。

根本的な原因は松坂が英語を話せなかったことにある。自らの意思で母国語の違う国で仕事をするのだから、例え野球選手であろうと日本語でいいという理屈は通らない。その結果期待したものにならなくても、甘んじて受けるべきである。意地悪な言い方になるが、ゴルフをやる暇があるのなら英会話を勉強する暇もあったはず。

またこの通訳は突然現れたわけではなく、あくまでも松坂自身の決断が生んだもの。巨人に入っておきながらポスティングが不公平と言い出す上原ではないが、自業自得な側面は否定できない。

もっともあの会見に関して松坂本人が満足であれば何も問題はない。問題なのはその矛先を通訳にしか向けられない人たち。息子が殺人を犯しても、そそのかした友達のせいにする親の理屈と何ら変わらないからである。これでは教祖を崇め奉る宗教と同じ、これが現代人の思想だと思うと情けなくなる。

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