I Wanna Be Sam
どうせならサムになりたい
今さら言うまでもなく、自分は自己主張の強い人間。普段はそれで完結しているのだが、時々それに疑問を感じることがある。もっと謙虚になるべきではないのか。主張するほど立派な人間なのかと。
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謙虚という言葉を辞書で引くと、素直で自分が偉いなどと思わない様子とある。自己主張とはある意味で自己顕示欲の延長線上にあるから、極論してしまえば謙虚になることは何も主張しないことに等しい。
受身的な主張ならいいのかも知れないが、そうなると意見を求められない限り何も言えない。では自分が立派な人間かといえば、これも違う。醜い部分は嫌というほど分かっているつもりだし、社会的にも最低な部類に属する。
謙虚になろうとすれば、自己は封印せざるを得ない。立派な人間だけにその資格があるなら、同じように死ぬまで沈黙を守るしかない。自己を封印しながら生きるのは死んだも同然。何のために生きているのか分からなくなる。
若いなら改善の余地もあるが、ここまで出来上がってしまうとそうもいかない。行動で示せと言われてもヤンキースの監督になれるはずもなく、せいぜいブログに批判的な記事を書くのが関の山。人それぞれ価値観が違うように、形に表せるものとそうでないものがある。
自己主張したいならそれ相当の人間性、そうでないなら謙虚になれ。これに背反するのは自業自得が根幹にあるのだから、我慢して生きろ。結局はこんなところに落ち着く。
また明日がやってきて、そこには昨日とは少しだけ違った自分がいるだろう。そして次の日には、昨日に少しだけ近づく自分がいるはずだ。いつしかそれは元に戻り、今日と同じ心境になる。まるで自慰を繰り返すサルのように。
Playlist Updated:
Monkey Gone To Heaven. Pixiesのアルバムに、こんなタイトルの曲がある。宇宙でもいいが、できることならその先に連れていって欲しい。
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