Saturday, January 19, 2008

Hey Joe

ジョー山中 矢吹丈以上にヘヴィな人生(産経新聞)

ジョー山中と聞いて、その名を知っている人がどれだけいるだろう。名前は聞いたことがあっても、ミュージシャンと答えられる人はそれほど多くないと思う。かくいう自分もその1人、ただの1曲としてまともに聴いたことがない。邦楽が苦手というのもあるが、それ以上に内田裕也一派というところが引っかかる。

反体制や弱者という猫をかぶった、自作自演のロックスター。あくまで主観だが、彼らにはこんなイメージが付きまとう。マイケル・ムーアしかり、こういう人たちはどうしても好きになれない。そういう意味ではジョー山中も同じなのだが、それとは別に彼には特別な思いがある。

ニューヨークに来たのはちょうど10年前。帰りのチケットを捨てるつもりで乗った飛行機はある人(以下Aさん)と一緒だった。Aさんとは知り合ったばかりだったが、予定を変更してまで自分の便に合わせてくれた。もうずいぶんと連絡を取っていないが、今でも好印象しか残っていない。

Aさんはジョー山中の近親者。親しくなっていく過程で知ったのだが、その時からジョー山中という響きに特別なものを感じるようになった。言葉では上手く説明できないが、あえて言えば同じ臭いというのが近い。この記事も、そんな自分を察した人がメールで教えてくれた。以下はその抜粋。

「ジョー山中は第二次大戦中、だんなを徴兵されたために3人の子供を抱えた母親が黒人兵と暮らすうちに誕生した。やがて父親が戦争から無事帰ってくるとさらに3人の子供が生まれ、結果的に家族でただ一人の混血児として育った。つまり、自分だけ父親と肌の色が違ったのだ。ややこしい!」

「しかも、小学2年のときには結核で2年近く入院し、その間に母親は死に、同時期に家も火事で真っ白に燃え尽き、退院後は養護施設を転々とすることになったりと、もはや矢吹丈以上にヘヴィな生い立ちなのであった。」

黒人とのハーフというのは知っていたが、これが事実なら想像するだけで悲しくなる。これで生きろという方が酷というものだろう。実は自分も似たような境遇だったのだが、彼と比べれば明らかに恵まれている。100人殺していても不思議ではないのに、それどころか61歳にして未だ現役のミュージシャン。同じ臭いなどと書いた自分が恥ずかしい。

それにしてもこういう文章には腹が立つ。面白おかしく書くのも結構だが、さすがにややこしいという表現はない。出自や環境は意思とは関係なく漠然と存在するにしても、それをドライに受け止めるかどうかは当事者が決めること。ジョー山中本人は意に返さないのかも知れないが、こういう記事がまかり通ってしまうとは世も末だ。

「物事は見かけとは違うもの」

先日観た映画にこんなセリフがあった。どんなに相手の立場で考えたとしても、本人にはなれない。そういう意味では、偉そうに書いている自分も分かっていないのだと思う。ただ思いやる気持ちだけは忘れていないつもりだし、そうでなくてはいけないはず。何でもかんでもメロドラマにする必要はないが、最低限のデリカシーだけは持って欲しい。

ジョー山中 - Wikipedia
ジョー山中 Official Website

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