Thursday, February 15, 2007

Dead Set

ディスカバリーチャンネルコスタリカの石球を知る。

詳しくはリンク先を見てもらうとして、世の中にはこのように現代科学では説明できないものが数多くある。これらはオーパーツ(Out Of Place Artifacts)と呼ばれ、場違いな工芸品という意味を持つ。

場違いというのはこの世の全てが現代科学で説明できる、もしくは現段階においては説明できないだけという見地からの表現。実際人類はこれを土台にあらゆるものを生み出してきた経緯があり、絶対的な存在になるのも無理はない。ただこれには小さな頃から疑問を持っていて、大人になった今でもそれは変わっていない。

例えば現実という概念を言葉で表現すると、多くの人が認めるものということになる。現世界と別の集合から俯瞰(ふかん)できない以上、これ以外の表現は難しい。

見ることや感じることは全て脳の知覚に過ぎず、ものの存在とは本来別の領域にあるはずである。百歩譲って知覚と存在が一致していたとしても、それが絶対的なものになる根拠はどこにもない。つまり現実の概念とはそれほど不確かなもので、極論すれば知覚次第でどうにでもなるものなのである。

こんなことを書いていると映画のマトリックスだと言われそうだが(実際に友人から指摘された)、前述の通り数十年も前から思っていたことで映画自体も観たことがない。

話は変わって、インテリジェントデザイン(ID)という言葉がある。簡単に言うと宇宙や生物は自然淘汰によってではなく、何らかの知的な因果によって創られたという考え方。進化論を快く思わなかったキリスト教の保守派による、創造科学の修正版と言っていい。

利益確保から派生した一方的な考え方のため否定されがちだが、経緯を別とすれば個人的には賛成できる部分もある。神の(ような)存在を肯定するという意味ではなく、進化論にはつけ込むスキがあると考えるからだ。

進化論を裏付けるものがいくらあろうと全てを観測するのは不可能、必然的に決定付けるのには無理がある。また理論というのはある程度の裏付けがあって初めて成り立つが、修正される前の仮説という側面も同時に持つ。つまりその時点における近似値の可能性は否定できず、それならば例えそれが根拠のない異議であっても無価値とは言えない。

量子力学の世界においても事象は確率的に決まるとされている。専門家ではないのでこれ以上は書かないが、絶対的な合理性がないことだけは確かだろう。

あくまで個人的な意見だが、この世の中において絶対視することほど危険な思想はないと思う。少なくとも考える余地は残すべきで、それは決して悪い方向に行かないはずだ。

問題なのはこうやって考えていること自体が前述した俯瞰に値せず、結果としてパラドックスしか生み出さないことにある。疑問を持つのは大事なことだが、永遠に消化不良なら持たないほうがいいとさえ思えてくる。

参考記事:U.S. FrontLine April 2nd week, 2006(PDF)

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