Monday, June 15, 2009

Mortal

皮肉と暗喩が交錯する秀作

Stranger Than Fiction (主人公は僕だった)
監督マーク・フォースター 2006年 アメリカ

作品というのは作者の意図とは無関係に一人歩きしてしまうものだが、この映画にコメディやファンタジーを感じる人はセンスがない。ホテルニューハンプシャーと聞いて着ぐるみが思い浮かぶようならその時点で終わり。小説の主人公はタイトル通りでも、主役はもちろん僕ではない。

「今は避けられてもいつかは捕まる」

結末を変えたのは小説中の主人公が実在したからではなく、他人のために命を投げ出すような人間性に尊さを感じるから。既定の結末が普遍的な宿命(悲劇)に対する暗喩だとすれば、それを受け入れられない気持ちの表れとも解釈できる。宿命を全うする道しかない中で人はどう生きればいいのか。それこそがこの作品のテーマなのだと思う。

「何気ない日常は崇高であり、だからこそ生きられる」

どこにでもあるような情景をバックに、物語はこんな言葉で幕を閉じる。何気ない日常に価値があるのはあくまで相対的なもので、喜びがなければ生きられないという意味において崇高というだけ。これが作者の答なら、アクセントは間違いなく後半の部分にある。事実は小説より奇なり。生きることは考えるより遥かに難しい。

「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ねる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きていることであった(正岡子規)」

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Andrea Bocelli, Canto Della Terra

関連サイト:
人間の生きる意味 - 教えて!goo

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