Reaction-1
仕事から解放された反動からか、一気に4本の映画を観た。
どれも特にお勧めではないが、感じたことを書いてみようと思う。
Warm Spring (ルーズベルト 大統領の保養地)
監督ジョゼフ・サージェント 2005年 アメリカ
HBOのお家芸である実話もの、エミー賞受賞作品。急性灰白髄炎にかかったことで政治生命を絶たれ、政治とは無縁の生きがいを見つける。その生きがいとは人種や身分の違いを越え、世の中のために生きること。奇しくもこれは大統領に最も求められる姿であり、結果的にその後の布石となっているところが興味深い。
「自由などいらない、ただあなたと共に生きて行きたいだけ」
これはこの映画で最も印象に残ったセリフ。人間は自分のために生まれてきたという言葉があるが、その対象は自分自身とは限らない。最終的には自分に帰結するという見方もできるが、私利私欲を押しのけて自己を封印することは並大抵ではない。便利語である人それぞれという言葉が真の意味を持つ数少ない例であり、尊重すべき生き方である。
Thirteen (あの頃欲しかった愛のこと)
監督キャサリン・ハードウィック 2003年 アメリカ/イギリス
ラストシーンを除けば、よく出来た映画だと思う。美術監督出身のためか特にカット割りが見事、錯乱した思春期の精神構造や臨場感が上手く表現されている。
この映画を観て感じたのは体罰の重要性。誤解しないでもらいたいが、体罰賛成と言っているわけではない。ただし人権的な観点からの体罰反対は賛成しかねる。そもそも人権の定義とは何か。辞書には人として誰もが共通に持っていて、おかすことのできない権利とある。表現が曖昧すぎて要領を得ないが、人であることが前提なのは間違いない。
あなたが大人と言われる年齢なら、子供の頃を思い出してみて欲しい。今と同じ理解力や洞察力、倫理観を持っていただろうか。社会のしくみも知らず、経験も乏しい子供が大人と同じ能力を持っていることなどまずあり得ない。
好き勝手な考え方しかできず、都合が悪くなれば理由もなく反抗する。少なくとも自分の子供の頃はそうだった。それでも生きてこれたのは、親という存在があったから。大人になった今となっては、単に生かされていたとさえ感じる。赤ん坊が放っておくと死んでしまうように、ある意味でこれは真理だと思う。
回りくどくなったが、同じ人間という括りだけで人権を持ち出すことに問題がある。極論すれば子供とは発展途上の動物に過ぎず、それを並列に扱うこと自体がナンセンス。犬の調教が体罰に値しないのが不思議なほどだ。
振り返ってみると、体罰によって学んだことは数え切れない。もちろん賢い子供ならその必要がないかも知れないし、体罰によって学ぶべきだとも思わない。ただ個人的な意見を言えば、体罰によってしか学べない時期は確実にあると思っている。
この映画の舞台はアメリカ、最も人権を振りかざす国である。当然体罰など与えられるはずもなく、最後はひたすら抱きしめることしかできなかった。人権は直輸入できても、家族の形は直輸入できない日本。果たしてこの国に別のエンディングは存在するのだろうか。
長くなったので残りは次回。
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